サッカーはロックなのだ。
彼の命日の前日。
彼、彼らの伝記映画である「ボヘミアン・ラプソディー」を観に行った。
年齢的には、どストライク。
しかし当時のわたしは、彼らクィーンにはさほど興味を抱いてはいなかった。
その日、友人の薦めとボヘミアン・ラプソディ楽曲そのもののファンである嫁さんの誘いに乗って映画を観に行った。
前述の通り、クィーンの存在は認めながらもファンではなかった自分。
135分後、あんな心境で劇場を後にするとは夢にも思っていなかった。
ラスト21分。
今も語り継がれる「ライブ・エイド」での演奏。
なぜか涙が止まらない。
この感情は何?
スクリーンに繰り広げられるパフォーマンスを観ながら、別のことを考えていた。
この感情は何?
この揺すぶられる、この響く感じは。
ああ、この感じ。
この響き。
グラウンドを駆け回る彼らから受けるあの響き、感動そのものなのだ。
先日の試合の後、食事をご一緒させて頂いたある保護者の方にわたしは言った。
サッカーはロックだと思う。
昨日息子宛に、亡き先生のご両親がお作りになられた記念誌が送られて来た。
わたしも拝読させて頂いた。
多くの方々が、先生への思い出を語っている。
現顧問の先生が、その一節にこう書かれている。
‘先生がクラブに参加するときは本気モード。上から下までばっちりサッカーウェアで身を固めてスタート。生徒と同じメニューを始めるのである。我がクラブながら、サッカー部の練習は都内でも有数の厳しい練習をしていると自負ある内容である。普段運動を続けていない大人なら、とてもじゃないけれど参加しようと思わない。
先生も参加したはいいが、やはりきつい。しかし、途中でやめない。それどころかアドレナリンが出まくって、かなりハイテンションになっていく。途中でくじけそうな子供たちに激を入れる。「絶対最後までやりきろうぜ」「ここで諦めていいのかよ」
そして先生の語録で私が一番好きな名台詞。「お前らもっと心を開けよ~何壁を作ってんだよ~壁をぶち壊そうぜ」。こうなってくると生徒もやめられない。一番走れていない、一番苦しそうに顔を歪めた先生が走っている。ついていくしかない。やるしかない。サッカー部の子供たちは幸せであった。苦しい思いを一緒にしてくれる先生がいる。’
お前らもっと心を開けよ~何壁を作ってんだよ~壁をぶち壊そうぜ。
先生もおっしゃっていたのか。
サッカーはロックなのだ。
現状を打破し、揺さぶりひっくり返えそうとする心の叫び。
君たちのロックをもう一度聞いてみたい。
多くの人がそう思っている。
サッカーは君たちのロックなのだ。
がんばれ、ベンツマークイレブン。
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