ベンツマーク校サッカー部の次なる挑戦が始まりました。イレブンへの応援を宜しくお願い致します。

監督のいらないチーム。考えなくてはいつまでも強くなれない。

往年の名選手、名監督の野村克也氏が亡くなられた。
氏の名前が出るたびに言われたのが ‘ID野球’。
データー野球とも言われた。

氏が亡くなった直後、「THE PAGE(ワードリーフ運営)」に興味深い記事が載った。
野村氏を参謀として支えた 松井優典氏が語った、野村野球についての取材話である。
こんな風に書かれている。

‘ 野村さんは、IDが野村野球と思われなくなかったんです。人間的に社会に出ても通用する人格、知識を持ち、そして、考える野球を知っていて技術と体力を持った選手が9人揃えば監督はいらない。『究極の自主性野球。それが理想の野球だ』と言っていました」。野村さんは「監督のいらないチーム」を理想像としていたという。’

こんなことも。

` 野村さんは「体力、気力、知力」の3つを選手に求めた。「体力、気力を問題とするならプロとして失格だ、というのが野村さんの考えだったんです。ヤクルトでは、知力をつけることに心血を注いだのですが、楽天時代には、その体力、気力が完成していないことに気づいたんです。だから4年目のチームスローガンは『氣』という言葉にしたのです」‘

アスリートには、体力・気力はあたりまえのこと。
その頭に` 優秀な ‘ と付けるには、能動的に考えことが必須だということ。
情報はあくまでも材料、大事なことは「考えること」であるというのが野村野球だったということなのだろう。

野村氏がヤクルト球団の監督に就任したのが、1989年。
日本プロ野球(当時は日本職業野球連盟)の記念すべき第一試合が行われたのが1936年。
それまでにも、同じ考えで指導をしてきた監督、プレイしてきた選手は当然いたに違いない。
しかし、` 考える野球 をチーム一体で目指すこと ’ が大々的に取り上げられるのに、実に50年以上の月日を要した。
それだけプロの世界においても、「監督のいらないチーム」を作り出すということが難しいことだったということだ。

ベンツマーク中学サッカー部には、サッカー小僧が多い。
そして、よく走る。
サッカーをやりたくてこの部に入り、辛い練習にもへこたれず頑張っている。
しかし、次の高見に上るにはまだまだ不十分なことがあると言わざるを得ない。
プロ野球でも50年以上かかった、難所を超えなくてはいけない。
与えられるサッカーから脱して、どれだけ自ら考えて実行に移していくことができるのか?

いち進学校のいちサッカー部。
スポーツ強化校と比べれば、練習環境も恵まれているとは言えない。
きれいなグラウンドとは言え、毎日使えるわけではない。
グラウンド以外の場所での練習も多い。
しかし、チームは目指している。

「屋上から全国に」

野村野球ならぬ、チーム一丸となって考えるサッカー。
わたしたちを早く全国に連れて行ってほしいと願うばかりである。

野村監督のご冥福をお祈りいたします。

がんばれ、ベンツマークイレブン。

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